清瀧弁財天の隣にある公園に、お墓のような立派な記念碑があります。
堀江にあった耕地は、工業開発による地下水くみ上げの影響により地盤が沈下し、昭和35年頃に耕作不能地となったという。
江戸川から土砂をくみ上げ、用排水施設を完備し、10年以上の歳月をかけ昭和47年12月にようやく換地処分の登記が完了。
耕作地を再生するという当初の目的とは裏腹に、最終的には一般的な土地開発事業となった旨が記載されています。
記念の碑を建てるほど解決に苦悩した様子が文章から垣間見えます。
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