浦安の三大神社の一つ、清瀧神社に寄ってみました。
フラワー通り商店街の突き当たりに位置し、旧浦安町役場のすぐそばにあります。
市内では2番目に歴史のある神社です。
祭神は大海津見神(おおわたづみのみこと)又は大綿積神(おおわたづみのかみ)。
豊受神社同様、その由緒については大津波による記録の流出により定かではありません。
清瀧神社の神職は、元々お隣の宝城院の住職が代々別当を勤めていましたが、明治維新後の神仏分離令により、明治9年より豊受神社の神職が清瀧神社、稲荷神社の神職を兼務することになったといいます。
現在は別々の神主さんがお勤めされているようですが、浦安三社のつながりはかなり深いようです。
(参考:浦安町誌 上)
本殿(奥殿)の彫刻
境内の左側を歩いていくと、拝殿の裏にトタン屋根で守られた本殿が現れます。
西暦1855年(安政2年)に建築された本殿は、正面の柱の間が3つある木造三間社(さんげんしゃ)、屋根の前面を長くした流造り(ながれつくり)の建築様式で、精巧な彫刻が全体に施されています。
浦安市教育委員会作成の案内板によると、地元の絵図師高間惣治郎によって原図が書かれ、棟梁肥前松五郎によって建築されたといいます。
彫刻について賞賛されていますが、彫師についての記載はありません。
望遠レンズや双眼鏡などで注視すると、一般的な龍や獏だけでなく、人々の様子やおとぎ話まで彫られているのがわかります。
正面には3体の龍がにらみをきかせ、左側面には竜宮城に向かう浦島太郎の姿が彫られています。
浦安町誌によると前面右側の龍が特に傑作とのことですが、囲いに阻まれあまりよく見えません。
立体的な彫刻に目を奪われがちですが、獅子の上下に帯状に彫られた模様にも注目です。
卍崩しの縁起模様(紗綾形)が規則正しく彫られています。
房総半島にある飯縄寺において「波の伊八」の異名をとる武志伊八郎信由の作品を見てから、神社仏閣の彫刻をかなり注視するようになりました。
こちらで見られる波は、伊八独特の表現とはかなり異なり、初期のデザインに共通するものを感じます。
師匠の嶋村流の流れをくむデザインにも思えます。
こちらは鳳凰でしょうか。周りの松のデザインには粗さも感じられます。
富士塚に建立された浅間神社
こちらにある富士塚は、境川から掘り上げた土を盛り上げて山を築き、その上にぼく石を積み上げて作られたといいます。
山頂には木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀った石造りの浅間神社が建立されています。
浅間神社の手前左側には龍神社があり、そのそばに堀江水準標石があります。
堀江水準標石も日本の土木歴史的に重要なもので、土木遺産に指定されています。
かつて浦安繁華街の中心にあった清瀧神社。
その名残は現在も残されていて、浦安の歴史に想いを馳せることができます。
創建:西暦1196年(建久7年)
祭神:大海津見神(おおわたづみのみこと)
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